起宿高札場跡
ページID 1053851 更新日 2023年12月23日 印刷
美濃路は、江戸時代の東海道宮宿(熱田)と中山道垂井宿を結ぶ街道で、将軍上洛や朝鮮通信使・琉球使節の通行にも利用された幕府道中奉行管轄の街道でした。全長14里余(約57km)の道中に、七つの宿(名古屋・清洲・稲沢・萩原・起・墨俣・大垣)がありました。美濃の輪中地帯を通り、起と大垣までの四里余の短い区間に、起川(木曽川)・小熊川(境川)・墨俣川(長良川)・佐渡川(揖斐川)が流れているのが特徴です。
起宿は、その一つである起川の渡船場がある宿場町です。慶長5年(1600)徳川家康が関ヶ原合戦で勝利した後の凱旋時に開設されたという由緒を持ち、江戸時代後期には、本陣・脇本陣が各1軒、旅籠屋は22軒ありました。町並みは起の隣村冨田から定渡船場の金刀比羅社まで続き、その中央付近に幕府の基本法令を書いた高札が掲げられた高札場がありました。
令和5年(2023)、高札場があった付近に、尾張名所図会にある挿絵の「起川」(上図)を参考にして、「起宿高札場跡」(下写真)を整備しました。享和2年(1802)に起宿から幕府に提出された「御分間御絵図御用宿方明細書上帳」によると、高札場の大きさは、高さ一丈四尺五寸(約4.4m)、横幅三間五寸(約5.6m)、奥行五尺七寸(約1.7m)もあり、往来する人々に幕府の威光を見せつける意味もありました。高札場には、徒党やキリシタンの禁止、前後の宿場までの人馬賃銭が書かれた高札など、合計7枚の高札が掲げられていました。
「起宿高札場跡」に整備された高札場は記録よりも小さく、高札は掲げられていた7枚の内、5枚を再現しています。その高札場付近に、宿場町の景観としての特色である枡形があり、ここを境に坂上(上町)と坂下(下町)に分かれます。下町には問屋場や本陣、脇本陣があり、旅籠屋も多く、宿駅機能の中枢を担う家が集まっていました。上町は江戸時代の旧堤防の上に家並みが形成され、宿場開設後、新たに移り住んだ者が多く、木曽川の水運を活かして財を成した商人もいました。
高札場 所在地
所在地 一宮市起字下町180番地
一宮市尾西歴史民俗資料館から北へ徒歩約3分
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