名誉市民

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ページID 1010497  更新日 令和4年1月20日 印刷 

秘書課

一宮市名誉市民(昭和33年12月20日 条例制定)

𠮷田 萬次よしだ まんじ(明治25年3月2日~昭和33年12月21日)

  1. 議決年月日 昭和33年12月21日
  2. 推戴年月日 昭和33年12月20日
  3. 事績
     大正6年、愛知県立医学専門学校を卒業し、翌年、医院を開業、昭和2年、京都帝国大学にて医学博士の学位を得た。
     大正10年、一宮市制施行後初の市会議員に当選、以来5回当選し、多年にわたり地方自治の伸展に尽力した。
     その間、昭和12年から市議会議長を2年、昭和17年には一宮市長に就任し、新一宮~新岐阜間の鉄軌道敷設等幾多の業績を残し、特に戦後の都市復興に献身し、都市計画の推進等一宮市発展の基盤を築いた。
     また、愛知県議会議員を8年余、県議会議長を2年勤め、愛知県政に尽力した。
     昭和16年には一宮女子商業学校(現学校法人一宮女学園※)を創立し、私学の振興に貢献した。
     昭和28年、参議院議員に当選し、昭和32年には科学技術政務次官として国政に参画した。

 (※現学校法人修文学院 事績は推戴当時の内容です。)

豊島 半七とよしま はんしち(四代目)(明治33年11月6日~昭和37年1月21日)

  1. 議決年月日 昭和37年3月29日
  2. 推戴年月日 昭和37年1月20日
  3. 事績
     昭和8年、株式会社山一商店代表取締役に就任、昭和12年、豊島半七(四代目)を襲名、昭和17年、豊島株式会社を創立。その後、東海紡績株式会社等関連諸会社の経営を総括して産業の興隆に尽くした。
     昭和14年、一宮商工会議所副会頭、同21年には会頭として業界の指導育成、繊維産業の発展に献身した。
     また、愛知羊毛紡績会会長、中部合成繊維紡績会会長等200余の団体役員として、産業経済の発展・貿易の振興および公共の福祉増進に貢献した。

伊藤 一いとう はじめ氏(明治43年4月11日~昭和49年9月26日)

  1. 議決年月日 昭和48年9月21日
  2. 推戴年月日 昭和48年10月1日
  3. 事績
     昭和8年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、直ちに内務省に入り、地方事務官・厚生事務官および内務事務官を経て、昭和18年陸軍司政官としてスマトラのランボン州・パレンバン州の各産業部長、帰国後の昭和21年には静岡県民生部長を歴任した。
     昭和22年、一宮市長に当選以来24年間、市長としての要職にあって市政を推進し、市の伸展に貢献した。
     また、その間、愛知県市長会会長・東海市長会副会長および全国市長会理事として都市行政の向上と地方自治の振興に尽くした。

森 鉐太郎もり せきたろう(明治42年7月8日~平成元年9月21日)

  1. 議決年月日 平成元年9月29日
  2. 推戴年月日 平成元年9月29日
  3. 事績
     昭和9年、明治大学商学部を卒業、同11年一宮市に奉職し、商工課長兼戸籍課長、経済部長および企画長を経て、昭和38年には助役に就任した。
     昭和46年、一宮市長に当選以来18年余の間、市長としての要職にあって市政を推進し、市の伸展に貢献した。
     また、その間、愛知県市長会会長・東海市長会会長および全国市長会副会長として都市行政の向上と地方自治の振興に尽くした。

江﨑 真澄えさき ますみ(大正4年11月23日~平成8年12月11日)

  1. 議決年月日 平成8年12月19日
  2. 推戴年月日 平成8年12月19日
  3. 事績
     昭和21年に衆議院議員として初当選、以来17回当選し、その間防衛庁長官2回、自治大臣・通商産業大臣・総務庁長官等の要職を歴任した。多年にわたり国会議員としての重責を果たすとともに、国政の枢機に参画した。
     また、国政と市政を結ぶ地域の代表者として、戦後の郷土復興に貢献し、その後地場産業である繊維産業の振興、教育施設の充実、幹線道路網の整備など、そして画期的な事業である鉄道高架事業に尽力し、市民福祉の向上と一宮市の発展に多大な功績を残した。

豊島 半七とよしま はんしち(五代目)(昭和4年12月5日~平成22年12月2日)

  1. 議決年月日 平成22年12月15日
  2. 推戴年月日 平成22年12月15日
  3. 事績
     昭和37年、豊島半七(五代目)を襲名、昭和38年豊島株式会社の代表取締役社長に就任。昭和55年、一宮商工会議所の会頭に就任し、平成17年までの25年余にわたり、地場産業である繊維産業をはじめ、地域の各産業界の振興のために大いに指導力を発揮し、多大な功績を残した。

海部 俊樹かいふ としき(昭和6年1月2日~令和4年1月9日)

  1. 議決年月日 平成23年6月29日
  2. 推戴年月日 平成23年9月1日
  3. 事績
     昭和35年11月に衆議院議員に初当選してから、16期連続して当選し、内閣官房副長官及び文部大臣を歴任した。その後、平成元年8月に第76代内閣総理大臣、続く平成2年2月には第77代内閣総理大臣に就任し、国内におけるバブル経済の崩壊や東西ドイツの統一に代表される冷戦の終結など、国内外にわたって多難な時期に、国のリーダーとしてその重責を果たした。
     内閣総理大臣を退任した後も、衆議院議員として、世界各国との友好関係の推進、海外に対する経済的支援の充実、さらに地球的環境問題に精力的に取り組むとともに、国内では、愛知県への万国博覧会誘致の礎を築くなど、多大な功績を残した。

神田 眞秋かんだ まさあき(昭和26年10月1日~)

  1. 議決年月日 令和3年6月24日
  2. 推戴年月日 令和3年9月1日
  3. 事績
     平成元年11月に一宮市長に初当選してから、3期連続して当選し、9年の間、市長としての要職にあって市政を推進し、わかしゃち国体の開催に先立つ光明寺公園球技場・市テニス場の開設、国営木曽三川公園138タワーパークの開園、東海北陸自動車道の市内インターチェンジの開通など、市の発展に大きく寄与する数々の事業を推進した。その間には愛知県市長会会長、東海市長会副会長及び全国市長会理事として、都市行政の水準向上と地方自治の振興に尽くした。
     平成11年2月から3期12年にわたり愛知県知事を務め、その間、中部国際空港の開港や愛・地球博の開催など、この地域の総合力を高めるための数々の事業に取り組んだ。平成17年4月の一宮市・尾西市・木曽川町の二市一町の合併においても、県と新市をつなぐ役割として尽力し、このたびの中核市誕生の礎を築き上げた。地方自治体を取り巻く環境が激変する時期に、リーダーとしてその重責を果たされるなど、多大な功績を残した。

谷 一夫たに かずお(昭和16年10月4日~)

  1. 議決年月日 令和3年6月24日
  2. 推戴年月日 令和3年9月1日
  3. 事績
     平成10年4月から一宮市医師会会長として務められ、平成11年1月に一宮市長に初当選してから、4期連続して当選し、16年の間、市長としての要職にあって市政を推進し、総合体育館・尾張一宮駅前ビル・市役所新庁舎の開設、糸の総合展示会「ジャパン・ヤーン・フェア」の開催など、市の発展に大きく寄与する数々の事業を推進した。その間には愛知県市長会会長、東海市長会副会長及び全国市長会理事として、都市行政の水準向上と地方自治の振興に尽くした。
     特に、平成17年4月の一宮市・尾西市・木曽川町の二市一町の合併においてはリーダーシップを発揮され、合併後の新市においても、愛知県西部の中核的役割を担う都市として地域の特色を生かしながら、このたびの中核市誕生の礎を築き上げた。地方自治体を取り巻く環境が激変する時期に、リーダーとしてその重責を果たされるなど、多大な功績を残した。

旧尾西市

渡辺 治彦わたなべ はるひこ(明治44年10月23日~昭和40年1月17日)

  1. 議決年月日 昭和40年1月18日
  2. 推戴年月日 昭和40年1月17日
  3. 事績
     防災活動などの地域活動に力を注ぐ。スポーツ振興にも尽力。
     毛織物業界では、昭和26年に尾西毛織工業協同組合理事長に就任、その後、後に「ウールの尾西」として全国的に有名となった尾西市の発展に貢献した。

小川 四郎兵衛おがわ しろべえ(明治35年9月10日~昭和52年9月23日)

  1. 議決年月日 昭和52年9月23日
  2. 推戴年月日 昭和52年9月23日
  3. 事績
     昭和18年に小吉製絨株式会社を設立、毛織物の品質、技術の向上に努めるとともに、地方自治にも積極的に参画した。
     昭和22年に旧起町議会議員初当選以来、尾西市誕生後も市議会議員として、昭和34年には市長に初当選し、18年7カ月の長きにわたり、地方自治の伸展に大きく貢献した。
     産業経済の面では、尾西信用金庫を創設し、尾西市商工会を創立し、地域産業の発展に尽した。また、尾西毛織工業協同組合理事長、日本毛織物等工業組合連合会理事長、日本毛織工業協会会長に就任、毛織物産業の振興に大きく貢献した。

市川 房枝いちかわ ふさえ(明治26年5月15日~昭和56年2月11日)

  1. 議決年月日 昭和56年2月9日
  2. 推戴年月日 昭和56年2月9日
  3. 事績
     大正2年、朝日尋常高等小学校訓導、大正6年、名古屋新聞(現中日新聞)記者を経て、大日本労働総同盟友愛会書記となる。
     婦人参政権の実現に尽力し、選挙と政治の浄化、売春防止法制定への努力などによる女性の地位向上にも貢献した。
     参議院議員として、昭和56年には25年永年在職議員の表彰を受けた。

三岸 節子みぎし せつこ氏(明治38年1月3日~平成11年4月18日)

  1. 議決年月日 昭和63年6月23日
  2. 推戴年月日 昭和63年6月23日
  3. 事績
     洋画家岡田三郎助氏に師事、女子美術学校(現女子美術大学)卒業。
     大正14年には、春陽会に初出品、初入選し、画壇へのデビューを果たす。
     46歳での昭和25年度芸能(現芸術)選奨文部大臣賞受賞、昭和61年には勲三等宝冠章、平成2年には女性の画壇における地位向上に努めた功績により朝日賞を受賞、平成6年には女性画家として初の文化功労者となる。
     また平成3年の日本人女性洋画家として初めて米国ワシントン女性芸術美術館で展覧会を開催するなど、日本近代洋画史に大きな足跡を残した。

旧木曽川町

川井 由廣氏かわい よしひろ(明治25年9月22日~昭和35年9月30日)

  1. 推戴年月日 昭和35年9月30日
  2. 事績
     大正13年、木曽川町議会議員に当選し、多年にわたり地方自治の伸展に尽力した。その後木曽川町議会議員を経て、昭和13年から2期8年、昭和29年から2年間にわたって木曽川町長として町発展のために尽力した。

江嵜 冨次郎えさき とみじろう(明治29年3月28日~昭和49年3月28日)

  1. 推戴年月日 昭和37年11月10日
  2. 事績
     昭和21年、戦後の初代木曽川町長に就任するともに、昭和22年からは県議会議員に当選、2期目には県議会議長をつとめた。郷土の産業開発、特に地場産業である繊維産業の振興発展に尽くすとともに、町長、県議会議員、県議会議長として、地方自治に著しい業績を残した。

丹菊 義明たんぎく よしあき(明治43年11月5日~昭和48年12月30日)

  1. 推戴年月日 昭和49年1月10日
  2. 事績
     昭和22年に木曽川町議会議員に当選以来2期8年間、地方自治の伸展に尽力した。その後、木曽川町議会議員を経て、昭和30年5月から2期8年、昭和46年5月から2年間にわたって木曽川町長として町発展のために尽力した。

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