「一宮市」の誕生

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ページID 1002713  更新日 令和4年2月18日 印刷 

 平成17年4月1日、一宮市・尾西市・木曽川町が合併し、人口約37万人の新生「一宮市」が誕生しました。当地域は繊維産業を基盤として栄えてきました。近年では地場産生地「尾州」のブランド力強化を進めると同時に、企業誘致の推進により産業の複合化を図っています。また市内には高速道路の9つのインターチェンジと一宮ジャンクションがあります。東西の大動脈である東名・名神高速道路と、太平洋側と日本海側をつなぐ東海北陸自動車道の結節点として、重要な位置にあります。
 市北部から西部へと約18キロメートルにわたって接する木曽川がはぐくんだ豊かな自然や、これまで蓄積された歴史・文化を礎に、安心・元気・協働の基本理念のもと、「木曽の清流に映え、心ふれあう躍動都市 一宮」を将来像としたまちづくりを目指しています。

旧・一宮市

 平安時代に国司がその国の神社を参拝して回る時、最初に出掛ける神社を「一の宮」と言いました。尾張の国の「一の宮」が真清田神社であったことから、その門前町であるこの地域がいつしか「いちのみや」と呼ばれるようになりました。大正10年9月1日に市制施行し、昭和15年・30年と2度の近隣町村との合併を経て市域を拡大しました。
 古くから伝統のある繊維の街として繁栄し、すでに平安時代には錦綾を生産したと伝えられています。江戸時代の享保年間から日用品の交換や綿織物の売買のために「三八市」が開かれ大変なにぎわいでした。その後、結城縞・寛大寺縞などの縞木綿や絹織物の産地として広く知られました。明治以降は織物生産も工業化され、洋服地を中心とした毛織工業の産地として急速な発展を遂げ、昭和初期には「毛織物王国・一宮」の名前が全国に知れ渡りました。各種素材の織物をはじめ紡績・撚糸・染色・整理から縫製まで一貫生産する総合繊維産業都市として知られるようになりました。
 16年の歳月をかけた鉄道高架事業も平成8年3月に完成し、JR東海道本線、名鉄名古屋本線・尾西線の3線を合わせると、高架延長11.6キロメートルにも及ぶ鉄道高架橋です。また、平成10年12月に東海北陸自動車道と名神高速道路が一宮ジャンクションでつながり、令和3年3月には東海北陸自動車道の「一宮稲沢北インターチェンジ」が開通したことで地の利が増し、東西・南北の交通の結節点としての重要性が高まっています。平成14年4月には特例市に、令和3年4月には中核市に移行しました。


写真:おりもの感謝祭一宮七夕まつりで大きな吹流しのような飾りがアーケードから吊るされている

写真:晴れた日のツインアーチと花畑

旧・尾西市

 尾西市は起町・朝日村が合併して昭和30年1月1日に市制施行しました。市名は、古くからこの地方一帯を示す言葉でもあった尾西(尾張西部)から取られました。
 江戸時代、東海道と中山道を結ぶ美濃路きっての宿場町で多くの人々が行き来し、交易・文化の交流拠点として栄えました。また、古くから絹・綿織物の産地として栄え、明治時代には近代化の波にのり毛織物産地へと発展しました。大正時代中期になって、動力織機が導入され毛織物への転換が進みました。同時に、撚糸や染色整理についても近代化が進み、毛織物工業地帯として急速に発展しました。第二次世界大戦により、尾西の毛織物業界も大きな打撃を受けましたが、戦後の衣料不足もあって立ち直り、「ガチャ万(織機をガチャンと動かせば万のお金が入る)」という言葉が生まれるほどの全盛期を迎えました。尾西市は活気にあふれ、「ウールの尾西」として国内はもとより、広く海外にまで知られるようになりました。
 毎年8月に開催していた花火大会では、直径500メートルの大輪を咲かせる尾張随一の20号玉が打ち上げられ、5,000発の花火が夜空と木曽川に映し出されました。


尾西市の航空写真

写真:夜空に沢山の花火が打ちあがっている

旧・木曽川町

 明治39年5月10日に黒田町(曽根を除く)・玉ノ井村・里小牧村が合併して木曽川町の前身、黒田町が誕生し、明治43年2月に町名を木曽川町と定めました。
町の中央を南北にJR東海道本線・名鉄名古屋本線が通っており、西端には名鉄尾西線(玉ノ井線)があります。また国道22号線(名岐バイパス)・県道6路線が走り、東端には東海北陸自動車道「一宮木曽川インターチェンジ」があり、交通の便に恵まれています。
 また、織物の町として知られ、近隣の地域とともに古くから繊維産業を中心に発展してきました。近年の社会経済動向の中で厳しい状況におかれながらも、繊維関連にかかわる人たちは、依然として多くの割合を占めています。
 自然をできる限り本来の形で守り、子どもからお年寄りまでだれでも訪れることができる憩いの場所として木曽川緑地公園を整備し、母なる木曽川とともに自然・歴史・文化の流れをはぐくんできたまちです。


木曽川町の航空写真

木曽川緑地公園の芝生と花壇の写真

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