令和元年6月5日報道発表「三岸節子の希少な故郷の風景画の発見について」のお知らせ

ツイッターでツイート
フェイスブックでシェア
ラインでシェア

ページID 1029630  更新日 2022年1月14日 印刷 

報道発表日 2019年6月5日

このたび、洋画家・三岸節子が1954(昭和29)年に描き、一宮市三岸節子記念美術館が所在を調査していた油彩作品《長良川》が、令和元年5月21日(火曜日)に北海道室蘭市内の個人宅にて発見されましたのでお知らせします。

1.作品概要

三岸節子作《長良川》(『週刊朝日』1954年2月28日号表紙原画)
1954年頃、45.5×38.0cm(F8号)、油彩・キャンバス

2.発見場所

北海道室蘭市在住 黒田美智子氏宅(大正14年8月18日生、現在93歳)

3.発見の経緯

今回発見された《長良川》は、『週刊朝日』1954年2月28日号の表紙を飾った原画である。『週刊朝日』はこの年、三岸節子をはじめとする15人の画家に表紙を描いてもらい、読者による人気投票を行う企画【第四回表紙コンクール“新日本風景コンクール”】を実施した。このコンクールは人気投票と懸賞が兼ねられており、投票した一般読者の中から抽選で1名に正賞として原画が贈呈された。
黒田美智子氏は、その正賞当選者である。15人の出展作家のうち女性は節子だけであり、当時男性社会だった画壇において女性の地位向上に邁進する節子の姿に、同じ女性として共感するものがあったであろう。黒田氏は当選時のインタビューにおいて「コンクールの表紙をすべて並べて見て、三岸節子がとても良かった」と語っている。当選後は40年ほど自宅に飾り、以降は梱包し大切に保管していたとのことである。
一宮市三岸節子記念美術館は当選時の黒田氏の住所は把握していたが、その後黒田氏は数回の転居を重ねており、現在の所在を掴むことができなかった。

そのため、今年4月にパートナー館である北海道立三岸好太郎美術館、および室蘭市教育委員会に調査協力を依頼し、現地の情報を収集した。
5月20日〜21日に三岸節子記念美術館職員が室蘭市を訪ね、収集した情報をもとに現地調査を行った結果、21日に黒田氏の現在の居所が判明し、自宅で作品の現存を確認した。

4.作品の価値

三岸節子は1921年、16歳で画家を目指し故郷・愛知を離れ、東京、フランス、そして神奈川県大磯町と活躍の場を移した。子どもの頃から実家との確執があり、親の反対を押し切って上京した節子にとって、故郷の風景を描く機会はほとんどなかった。
親族の中で唯一節子に理解を示していた長兄の計らいにより、1927年に好太郎と2歳の長女の親子3人で生家からほど近い岐阜で一夏を過ごし、長良川や金華山を毎日のように眺め、生家にも身を寄せている。《長良川》の表紙掲載時のコメントから、同作品はこのときの記憶をもとに描いていることが推察される。「まぶたに焼きついている」と語るように、その7年後に31歳で急逝した夫との、自身の故郷で過ごした忘れられない思い出だったのであろう。
これまで故郷の景色を描いた油彩作品は1点も現存が確認されておらず、今回発見された《長良川》は、生家跡に建つ記念美術館にとって極めて重要な資料価値を有する。
また、節子は同作品を発表した翌月、1954年3月に初めてフランスに渡り、そこで初めて風景画を描く魅力に目覚めている。それまでは主に室内画・静物画を描き、風景は苦手と公言していた。すなわち同作品は渡欧を契機に風景画家として開花する直前の、貴重な国内での風景画であり、コメントからも節子にとって挑戦的・実験的な作品であったことが伺える。
さらに特筆すべきは、今回原画が発見された北海道が、夫・好太郎の出身地であるということである。節子が故郷を描いた唯一の現存作品が、計らずとも好太郎の故郷で65年もの間大切に保存されていたことは、じつに運命的であり、出会ってからほどなく100年を迎える三岸夫妻の、固く数奇な絆を感じざるを得ない。

5.三岸夫妻について

三岸節子(1905-1999)
愛知県中島郡小信中島村(現・一宮市)生まれ。裕福な毛織物工場に生まれるが15歳のときに実家が倒産し、翌年画家を目指し上京。女子美術学校(現・女子美術大学)を首席で卒業し1924年好太郎と結婚、翌1925年第3回春陽会展で女性初の入選を果たす。29歳で好太郎と死別したあとは、3人の子を養いながら女性洋画家の先駆者として牽引。1968年に二度目の渡仏を果たし、以後20年余りをヨーロッパで過ごす。1988年尾西市名誉市民、1994年女性洋画家初の文化功労者に推挙され、1998年に記念美術館が開館。

三岸好太郎(1903-1934)
北海道札幌生まれ。18歳で上京し、アルバイトのかたわら苦労しながら独学で絵を学ぶ。1923年に第1回春陽会展に《レモン持てる少女》が入選し、以後、春陽会や独立展を舞台に活躍。1934年、旅先で31歳の若さで病死するまで、わずか十年余りの画業で、最新の西洋美術思潮に感応して次々と画風を変化させながら、「道化」や「蝶と貝殻」シリーズなど、繊細な詩情漂う造形性ゆたかな画業を展開し、大正末から昭和初期の洋画壇で鮮烈な光彩を放った。三岸節子ら遺族からの220点の寄贈作品により、1967年、北海道立美術館(三岸好太郎記念室)開館、1977年に北海道立三岸好太郎美術館と改称、1983年、現在地に新館開館。

6.パートナー館提携について

国内の画家夫婦で、それぞれの出身地で自身の名を冠した公立の個人記念美術館が建つのは三岸夫妻だけである。一宮市三岸節子記念美術館が開館した翌1999年に両館はパートナー館提携を結び、同年10月に北海道立三岸好太郎美術館で両館コレクションによる「三岸好太郎・三岸節子展」を開催。以後、両館で友好・協力関係を育んでいる。

7.連絡先

一宮市三岸節子記念美術館 担当:課長補佐 長岡
〒494-0007 愛知県一宮市小信中島字郷南3147-1
電話 0586-63-2892(一宮市内線7780) ファクス 0586-63-2893
MAIL migishi@city.ichinomiya.lg.jp
北海道立三岸好太郎美術館 担当:副館長 土岐
〒060-0002 北海道札幌市中央区北2条西15丁目
電話 011-644-8901 ファクス 011-644-8901
MAIL toki.miyuki@pref.hokkaido.lg.jp

※高画質の掲載画像の提供希望、および作品所有者への取材希望につきましては、上記までご連絡をお願いいたします。

PDFファイルをご覧いただく場合には、Adobe Readerが必要です。お持ちでない方は、アドビシステムズ社のサイト(新しいウィンドウで開きます)からダウンロード(無料)してください。

より良いウェブサイトにするために、ページのご感想をお聞かせください

このページに問題点はありましたか?(複数回答可)
       

このページに関するお問い合わせ

博物館管理課 美術館グループ
〒494-0007 愛知県一宮市小信中島字郷南3147番地1
電話:0586-63-2892 ファクス:0586-63-2893
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。