10月号 平和のために

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ページID 1052586  更新日 令和4年10月1日 印刷 

戦没者の追悼

 遠い東ヨーロッパから目を疑うような戦いの報道が、連日テレビからも流れてきます。
 わが国も77年前までの先の大戦で多くの犠牲者を出しました。今日の平和は先人の犠牲の上に成り立っています。市民の皆さまと共に恒久平和を願うため、市では毎年秋に戦没者追悼式を開催しています。今年は10月29日(土曜日)に木曽川文化会館・尾西信金ホールで開催します。
 また、毎年夏休みに合わせて、小中学生による平和を考える作文の募集をしています。式典では、戦没者遺族らの献花だけでなく、作文の優秀作品には表彰と朗読の場を設けています。市民の皆さまもぜひご参加いただければと思います。

戦没者追悼式の様子の写真

一宮空襲

 一宮市は、昭和20年7月に2度にわたって空爆の被害を受けました。り災戸数は全市戸数の83%にあたる10,468戸、り災者は全市人口の71%にあたる41,027名を数え、うち死者は727名、負傷者は4,187名を出し、市街地面積の82%にあたる4.07平方キロメートルがガレキの山と化しました。毎年、空襲があった7月28日には、大乗公園の慰霊碑の前で、一宮市戦災遺族会により戦災死没者追悼式が執り行われています。昨年は市制100周年記念事業として、ケーブルテレビICCが特別番組「この街は戦場だった ~一宮空襲から75年 市民の記憶~」を制作し放送されました。書籍では、森靖雄氏「戦時下の一宮 くらしと空襲」が人間社から出版されています

対馬丸事件と小桜の塔

小桜の塔を中学生が見学している様子の写真

 戦争では、子どもたちも犠牲になっています。太平洋戦争中の昭和19年、沖縄から疎開する学童らを乗せて長崎に向かっていた「対馬丸」が、鹿児島県沖でアメリカ軍の潜水艦の攻撃を受けて沈没するという事件があり、疎開学童784名を含む1,484名の方が亡くなりました。その時犠牲となった方々を慰霊するため、昭和29年、沖縄県那覇市に「小桜の塔」という名の慰霊碑が建てられました。この塔は、市内丹陽町にあった「すずしろ子供会」が「沖縄には子どもたちの慰霊碑がない。何とかしたい」との思いから募金活動を呼びかけ、桑原幹根元愛知県知事をはじめ県全体の協力のもと、愛知県下の子どもたちから1円ずつ募金を集めて造られ、沖縄に寄贈されました。桑原知事の揮毫による石碑もあります。
 その後、「対馬丸事件」から60年目の平成16年に「対馬丸記念館」が開館しました。昨年、市制100周年記念事業の一環として、市内中学生が平和・環境学習を目的に、那覇市の中学生とオンライン交流会を行いました。12月には小桜の塔や隣接する対馬丸記念館をはじめ、戦争にまつわる施設等を訪問することができました。対馬丸記念館では、対馬丸事件で姉二人を亡くされた方のお話しを聞き、中学生の皆さんの平和に対する理解を深める機会になりました。
 今年4月には、一宮ロータリークラブの皆さまが、平和教育のためにマンガ本「今を生きるきみたちへ ―対馬丸事件を忘れない―」を作成して市に寄付してくださり、22,000冊を市内小学4~6年生と中学生に配布しました。戦争による悲惨な歴史も、次の世代に正確に伝えていけるように、引き続き努力してまいります。

マンガ本の一コマ「1941年から1945年まで続いた戦争だ。お父さんやお母さんが生まれるよりずっと前だ」「それがこれらと、関係あるの?」「対馬丸事件というのは、その戦争中のできごとなんだ」


 

「2022(令和4)年10月号 広報一宮」 掲載
※記事中の内容・数値などは掲載時点のものです。

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