議会の沿革

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ページID 1005013  更新日 平成28年1月7日 印刷 

 一宮市は大正10年9月1日に市制施行し全国で第80番目の都市となったが、当時の市会(旧法は市会と称していた。)議員の数は30名であった。また、当時の市会議員選挙は2級別(直接市税を納める者を選挙人とし、その選挙人の納める市税総額を選挙人の総数で除した額以上を納める者を1級選挙人とし、その他の者を2級選挙人としていた。)選挙であったため、第1回市会議員選挙は市制施行60日後の大正10年11月5日に2級議員15名を、11月7日に1級議員15名を選出した。

 第2回市会議員選挙は大正14年11月5日に2級議員選挙が、11月7日に1級議員選挙が行われたが、大正15年の市制改正により納税資格が撤廃され、1・2級議員の区別がなくなった。

 その後、市勢の発展に伴い人口が5万人以上となったため、昭和12年11月5日執行の第5回市会議員選挙から定数36名となった。

 昭和30年には近隣8町村と合併したため、その後最初に実施された昭和30年4月30日の市議会(戦後の法改正により、市会から市議会に変更された。)議員選挙では、合併前の市町村を選挙区(旧市区「西成・葉栗を含む」、丹陽区、浅井区、北方区、大和区、今伊勢区、奥区、萩原区、千秋区)として定数36名で選挙が行われた。

 また、その時の合併により人口が15万人以上となったので、昭和34年4月30日執行の第10回市議会議員選挙から定数40名となり、次いで昭和42年4月に執行されるべき第12回市議会議員選挙は人口が20万人を超えたため法定定数44名となったが、昭和41年12月定例会において議員提出による定数に関する条例が可決され、定数は4名減員の40名のままで選挙が執行された。

 平成8年3月26日、一宮市行政改革推進委員会は提言を発表し、その中で「議員定数について、本市の人口、面積、財政事情などの諸要素を考慮し、若干名の削減を妥当とするとの意見があったことを付言する。」との指摘がなされた。

 この指摘を受け、平成9年6月定例会において一部の議員から定数を4名減員し36名とする条例改正案が提出された。当議案は平成10年3月定例会において可決され、平成11年4月25日執行の第20回市議会議員選挙は定数36名で執行された。

 平成17年4月1日、尾西市、木曽川町と合併したが、これに先立ち合併協議会で議員の身分について協議がなされ、在任特例(尾西市、木曽川町の議員は、一宮市の議員の任期中に限り一宮市の議員の身分を有する。)を適用することとし、各市町の議会で議決された。これにより平成17年4月からは市議会議員が78名となった。

 合併後、一部の議員から、平成19年4月執行予定の市議会議員選挙に関し、定数を40名とする条例改正案、議員定数の特例並びに選挙区及び各選挙区の議員の数に関する条例案の2つの議案が提出された。それぞれの議案は平成18年2月13日に開催された臨時会において可決され、定数は地方自治法第91条の規定により、条例で40名と定めた。ただし、合併後最初に行なわれる一般選挙に限り定数44名(一宮選挙区33名、尾西選挙区7名、木曽川選挙区4名)とする特例を適用することとなった。

 その後、平成18年8月18日に上記特例などに関する条例に対し一部改正(定数を38名とし、一宮選挙区29名、尾西選挙区6名、木曽川選挙区3名に改める。)の住民直接請求が提出され、9月定例会に付議された。この直接請求に基づく条例改正案については、議員定数審査特別委員会において審査され、平成18年12月定例会において否決された。

 こうした流れを受け、平成19年4月22日に第22回市議会議員選挙が執行され、選挙区選挙により44名の議員が選出された。また、平成23年4月24日執行の第23回市議会議員選挙では、全市から40名の議員が選出された。

 平成23年12月議会において、議会運営委員会より諮問を受け発足した議会改革検討協議会において議論を重ねた結果、平成26年6月定例会において議会運営委員会から定数を38名とする条例改正案が提出され、同定例会において可決された。平成27年4月26日執行の選挙で38人の議員が選出された。

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